フェアノールは両親を“うしなった”。
母ミーリエルは、彼が生まれてまもなく、いわゆる産褥病で亡くなった。
※産褥(さんじょく)とは、出産前後の時期のことを指し、この頃の母親は病みやすいと言われている。
もとより、この時代のエルフは死に至ることのない存在であり、もし彼女がこの苦しみに耐えられたとしたら、おそらくフェアノールが深い悲しみに陥ることはなかったろう。
しかし、彼女はフェアノールを産むことで、心身ともに疲れ果てた。
だから、ローリエンの庭に横たわり、魂はマンドスの館に移った。
いささか私的な言葉を挟むが、私は子どもを産んだことはない。
ゆえにこの苦しみや、子と離れる身を引き裂かれるような思いは、完全には理解し得ないところがある。
無論、親を亡くす悲しみも、私にはまだわからない。
しかし、フェアノールのもう一つの喪失は、少しわかる気がする。
父フィンウェは、残された息子に全幅の愛情を注いだ。
その愛情の深さたるや知る由はないが、フェアノールのその後を見れば想像に難くない。
ところが、それもほんの一時のことだった。
フィンウェは新たな妻インディスを娶り、さらに子を4人(シルマリルの物語では2人)もうけた。
自分だけに向けられていたはずの愛情は、いつしか別の方向にも向けられた。
そうフェアノールが感じたと思うのは、自然のことだろう。
でも、単純にそうだったのだろうか。
フェアノールは、母ミーリエルを父が忘れてしまったのではないか、そしてその忘れ形見である自分もまた、心の片隅へ追いやられてしまったのではないか――そう感じたのではないだろうか。
これは、胸を抉られるような感覚にさせるものがある。
あくまでフェアノールの視点に立てば、彼が両親を“うしなった”というのは、あながち間違いでもない気はする。
彼を救う手立てがあったとすれば、それは剣でも誓いでもなく、父親とどう向き合うかという、もっと静かな場所にあったのかもしれない。



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