彼女がもし男であったなら
戦乙女エオウィンを前にすると、そんな時代錯誤のような言葉が浮かんでしまう。
もっと正当に自分の力を認められ、自由に剣を振るえたのではないのか。
とはいえ、彼女は何に怯え、何を欲していたのだろう。
ただの安らぎだったのか、それとも戦うことに意味を見出していたのか。
いずれにしても、エオウィンのことは、女性なら誰でも共感する部分があると思う。
私が男だったら。僕が女だったら。
こんな話は、すでに過去のものとされがちである。
しかし、私は、この国に住んでいて少しだけ思う。まだまだ男女の格差は埋まっていないのでは、と。
そう思うことの何とナンセンスなこと、と思いつつ、感じざるを得ないのだ。
エオウィンが生きていた中つ国においても、その考えはあまり変わらなかった。特に人間社会においては。
無論、子を産むなど、性質上女性にしか出来ないこともある。
だが、危険だとわかっていても「戦う」ことに何らかの意味を求め、男と変わらない強さで戦っている彼女の姿は、何と勇ましく、何と美しいことか。
けれど、彼女のその後を思えば、その美しさを無条件に讃えて良いのかというと、そうでもない気がする。
剣を構え、敵を倒すことだけが「戦い」ではないから。
あれほどの苦しみを抱える前に、それぞれの戦い方があることを知っていたとしたら、彼女の心はもっと早く暗闇から逃れていたに違いない。
とはいえ、もし彼女が別の戦い方を選んでいたとしたら、誰よりも優しい生涯の伴侶と出会うことさえなかったかもしれない。
だから彼女の人生も決して単純ではない。
トールキンが描きたかったエオウィンの姿は、男女の垣根を越えて突き進む強さと、それでも「らしさ」は持つことの美しさだったのだと思う。
剣を振るう勇気も、剣を置く勇気も、どちらもまた、同じ「戦い」なのだ。



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