トールキンと私 ―深淵を知ることの後悔と喜び

研究に勤しむ私 トールキンと私

念願の「指輪物語」による論文作成が見えてきたところで、私は教授に自らの考えを伝えた。

どういう方向性で進めたいのかを。

当初は指輪について、種族について、神についてなど、いろいろと盛り込みたいことを伝えていた。

しかし、論文であるからには、どれか一つに搾るのがいいとの助言をいただいた。

その中で、最もあなたが求めたいことは種族のことではないかと、教授から核心を突かれた時、一瞬自分がこの題材を選んだことを後悔した。

種族のことを語れば語るほど、その深みがどれほど深く果てしないものなのか、なんとなく想像できていたからである。

そのうえ、種族に特化して論文を作成するなど、いくら時間があっても足りないことはわかっていた。

その予感は見事に的中した。

論文作成に取りかかるやいなや、私は図書館に入り浸るようになった。

大学のみならず、地域の図書館、果ては書店や国立国会図書館に至るまで、ありとあらゆる文献を読み漁った。

そうでもしなければ、多くの種族を理解するには至らないと考えたからである。

とはいえ、その時間が苦痛だったかと言われればそうではない。

むしろ楽しくて仕方がなかった。

おそらく、これまでの人生の中で最も楽しかった時期とも言える。

だからこそ、多くの困難を乗り越えられた。指輪を棄却する彼らの旅路を思い出しながら。

その努力の甲斐あって、論文は完成した。

達成感に浸っていると、さらに驚くことがあった。

思いがけず、その論文は評価され、表彰という形で返ってきた。

私の中で燃え続けていた『指輪物語』が、外の世界にそっと触れた瞬間だった。

ここで、私の「指輪物語」の探究は一応の終息をみた。

しかし、探究心の燻りはまだ終わっていない。

今はあの頃のように深淵へ飛び込むのではなく、その火を静かに守ることを選んでいるのだ。

コメント

タイトルとURLをコピーしました