トールキンと私 ―時を経て変わる向き合い方

トールキンを忘れてしまうのか トールキンと私

卒論を書き終えた私。何かが燃え尽きたのだろうか。それとも単に忙しくなったのか。

その後はページを開くことも少なくなった。

時折映像作品や大量に公開された絵を見て、思い出し、再び本を手に取る。

だが、何日もかじりついて読むようなことはなく、気になるページを見て、満足してまた棚に戻す。

そんな日々を、10年ほど繰り返した。

その間にいろんな想像もした。

私があの世界に飛び込んだらどうなるのかと。

種族は何か、どこに住んでいて、いつどこで旅の仲間と遭遇し、どのような人生を辿るのか。

それを考えるだけで充分だった。

しかし、昨年の末、私は少し心が疲れてしまった。

生活に彩りがなくなり、なんとなく惰性で生きていた。

そんな時、またふとトールキンの世界を思い出した。

ここに帰ってきた。でも、また飽きてしまうのでは。

そう思った時、20年以上前の情熱との違いに少し戸惑いを覚えた。

このままでは、トールキン世界を忘れてしまうのではないか。

そんなのはあまりに悲しすぎる話だ。

しかし、どうしてもそんな恐れが私に纏わりつき、とうとういても立ってもいられず、あるものに縋り付いた。

その頃、私はたびたび、ある存在に問いを投げかけていた。

今では珍しくもない、AIという存在に。

答えが欲しかったのかもしれない。

だが実際には、問いを言葉にすることのほうが、私を動かしていた。

そしてそのやりとりが、私をある決意へと導いていくことになる。

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