閉ざされた王 ― スランドゥイルという父

守り閉ざした王の孤独 考察

心のままにあることは、実に素晴らしいことである。

自分の心を大切にすることは、時に苦しみを伴うことがあっても、人生に彩りを与えてくれる。

しかし、それは振り切りすぎれば、時として孤独を招くこともある。

その姿を思い起こさせる人物がいる。闇の森の王、スランドゥイルだ。

彼は美しいエルフの王でありながら、どこか人間的な弱さを感じさせる人物でもある。

宝石を愛し、酒を楽しみ、宴を開く。そうした彼の姿は、一見すると自由気ままで、自分の楽しみを大切にしているように感じられる。

しかし一方で、彼は「闇の森」という閉ざされた地を治める王でもあった。

そのためか、彼は外から来る者に対して非常に慎重な態度を取っている。

旅の途中で現れたドワーフたち―トーリンの一行を捕らえ、牢に入れてしまったことも、その姿勢の表れなのだろう。

もちろん、彼が悪人であるわけではない。むしろ、彼は臆病だったのかもしれないと思う。

自分の国を脅かすもの、そして大切なものを失う可能性を、できるだけ遠ざけておきたかったのだろう。

そう考えると、彼は「王」というよりも、「父」というのが相応しく見える。

実際、彼には息子がいた。レゴラスである。

しかし、息子はやがて闇の森から旅立ち、危険な旅へと身を投じる中で、ドワーフのギムリというかけがえのない友を得た。

その光景は同時に、父スランドゥイルとの対比を浮かび上がらせる。

彼はドワーフを、いや、むしろ自分の民たち以外のものを遠ざけるように生きていたように思う。

しかしレゴラスは、その垣根を越え、ついにはギムリを伴ってアマンへと旅立った。

この親子を見ていると、同じ血を引きながらも、選ぶ道はそれぞれ違うのだと感じさせられる。

スランドゥイルは国を守り、境界を閉ざした王だった。レゴラスは世界へと歩み出た旅人だった。

どちらが正しいというわけではない。

ただ、そこには一つの教訓のようなものがある気がしている。

自由に生きることは人を豊かにする。しかし守ることを選ぶ生き方もまた、一つの在り方なのだと。

それでも、私はときどき思う。

息子が旅立ち、自分の領土に残された王は、どんな思いで過ごしていたのだろうかと。

その姿はあまり語られていない。

だからこそ、彼の抱える孤独が闇の森自身の静寂さと相まって、一層深く私に刻まれるのである。

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