炎を抱えながら“世界”で生きること

自分と社会とで悩む私 深淵を語る

フェアノールやメルコールは、自らの炎を燃やすことに全てをかけた。

その結果、社会に属するものとしての立場は失った。

果たして、それを良しとするか否か。

それは、その人次第だと思う。

社会に属して生きるかどうか、それを選ぶ権利は誰にでもあるのではないか。

もし社会に属するならば、少なくともその社会におけるルールや定義を守る必要があるだろう。

とはいえ、このバランスを保つのは並大抵のことではない。

気がつくと、どちらかに偏ってしまう。

フェアノールやメルコールは、それを体現する存在だったのではないだろうか。

かたやエルフ、かたや元ヴァラの存在であったが、彼らは我々人間と変わらない性質の持ち主だったと言っても、そう遠くはないだろう。

では、どのようにしてバランスを保てばよいのか。

この答えは、いかようにしても見つからない。

社会に属することを考え、ルールに従い続ければ、自分の思うところが表現できない。

かといって、自分の思うままに行動すれば、時として社会から冷ややかな視線を浴びることになる。

無論、この冷ややかな視線に耐えられればよいが、私もそうだが、多くの人達がそう器用には生きられない。

故に、自分のさじ加減でこのバランスを保とうとするのが、今の最善の方法ではないかと思われる。

とはいえ、この問題はそう易々と解かせてはくれない、深刻な問題でもある。

フェアノールにせよ、メルコールにせよ、その末路はあっけなく、何とも悲しいものとなった。

しかし、彼らは彼らの“世界”を生き、そして世界を燃やしていった。

そんなことがはたしてできるだろうか。おそらく私にはできまい。

それでも、自分の炎だけは静かに守っていきたいと願うのは、誰しも思うことではないだろうか。

コメント

タイトルとURLをコピーしました